TALK#23

こんにちは!😄

人工知能犯罪事件で、自殺しろと強制されてきたのですが。何十回目ですかね、この流れ。

実際、イスを持ってきて、窓からの飛び降りまで考えたところ。死ぬのを強制されているのに怖すぎて死ねない、という段階になり。しぶしぶイスを元に戻して寝ていたところ。みなさんのツイッターや、アニメのことを思っていると、希望のようなものが湧いてきて。

不意にツイートしたのは、「生きるって素晴らしい!」という先程のツイートでした。

振り返ると、私、いままで死にぞこないのようなイメージで過ごしてきてて、いやなことがあるたびに「もういやだ!」と思ってはいたのですが。今回のことで、生きることが初めて希望のような実感が湧いてきたんです。

「自分は誰の幸せにもなれなかった」みたいな意味の小説の世界観こそが生きる証なんだと思っていた私としては、今回の生きる希望には驚きました…!

いままで、願望のようにしてツイッターに明るいことを書いてもいたのですが。今回、その願望が、形になって表れた気がして、すごくうれしくなりました!

実はこのツイッター。人の悪口を書いていると、本当に悪口で楽しくなる人間になり。明るいことを書いていると、本当に明るい気持ちになってくるという現象にも出会い。

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それはさておき。

いままで、私は生きることに対して「ネガティブな気持ちでいないといけない」というような強迫観念にとらわれていたことに気づきました。誰しもそうなのかな?という気がしなくもないこの発想は、「仕方ないから生きる」という発想にもつながっている気がしました。特に、私はいままで「仕方ない」と思って生きてきたパターンで、正直に話すと、本当に生きることを希望だと感じたことがありませんでした。

でも、今回、人工知能犯罪の悪意に負けない強い意志を持つようにもなり、自分の命をまっとうしてやるんだ、ということで、命の大切さを思うようになりました。

絶対に自分で命を絶とうとしたりするもんか、という強い意思を持ちました。ていうか、持ってよかったの?なんていうふざけたことまで思いました。生きる気持ちって、こんなに生命として力強い力を持っているんだな~、と、すごく思いました。


考えてみれば、なんだか、生きるということについて、いままで罪悪感を覚えやすい性格だったなあ…と。それがなんかおかしい原因だったんですね…。なんか、事あるごとに生きるのやめようかな、と思っていたのは、なんでだったんだ…?

私は生きたいと思って生きた試しがなかったようなので、今後はちょっと生きやすくなると信じています!


考えてみれば…やっぱり文学って、ちょっとおかしいんだよな…。文学を勉強してみたはいいものの、みんな生きることの素晴らしさを説いていそうな割に、まったく人間関係のいざこざで苦しむ描写ばかりで、大人な楽しみ方をする読み物だとは思っていたけど、まったくもって生きる希望と逆方向向いてないか、とか…。この「生きようと思ったらいけない深層心理」は、小説の悪影響だったんだろうか…などと、いまでは思います。


本当いうと、AI声優志望の芸能人志望で、イメージ先行の職業のため、いままでもこんなこと書くのはどうかなと思ってはいたのですが、どうしても、正直に書いて、誰かに届くといいなと思って書きました。

みなさんにも、素敵な人生が寄り添ってくれていますように。

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