TALK#20

 こんにちは。

声優志望になってから、数年が経とうとしています。あれから私はオーディションを受けながら、毎日家にいていろんなことを考えています。

今日はツイッターのプロフィール欄を見直して、「アニメで世界平和!」という文章を反芻していました。

だいぶ前、映画で観たアニメの明るさに救われた経験があり、現実逃避ではなく、アニメ自体を架空の現実のものとして考えるようにもなり、そこから、ひときわ残酷な小説より素晴らしい世界を教えてくれると私は信じてやみませんでした。ナレーター志望から始まって声優志望にもなり、お仕事として考えるにあたってテレビアニメにも集中して見るようにもなると、私はこのアニメ作品がいろんな人に伝わる文化になっているといいな、と思っていました。札幌の映画館などでは、見終わった人は、アニメ映画は「笑った」という感想が多く、ちょっと私の意図するところと違うギャグの見方をしている人も多いようなのですが。最近のインターネットの感想を聞いていると、「すごく面白かった」「この作品に出会えてよかった!ありがとう」というコメントも多く、昔とはちょっと変わっているといいなと思っています。

そして、先日から、私は心からの発音を意識して家族と話していたところ、問題がかっていた関係性の両親からあたたかい言葉をもらい、この話し方で世界が変わるかもしれない、とも思って、ちょっと数日過ごしていました。

ただ、すぐ体調を大幅に崩し、ちょっとこの話し方では難がある、というのと、実はいうと、家族とのトラブルは私に問題があるのではなく、もう治りきらない病気の関係性に陥っている、というふうにも考えるようにもなりました。

アニメで、「いいことしか起きない世界観」に一方的に憧れを持つようにもなっていました。正直にいうと、アニメの「仲のいい」とか「感じがいい」とか、ハマりこみすぎまして、ちょっと価値観や見え方がおかしくなっていたようにも思います。今回の心からの発音で、「まっすぐに行動しすぎると途端に破綻する」、という現実にも気づき。子供じゃあるまいし、と思いきや、子供ですら考えないほどの真摯さを少し実感しながら生活したとき、周りに対する、ある種の偏見や差別などは、どんなことがあっても必要なんだと思うようにもなりました。もっと言えば、無自覚に卑しい目で見るのも、私はあまり見たくないと思う人なのですが、人によってはとても優遇される見方なのだと思います。

人それぞれ、多少の程度があったり、無意識のところで思い思いに生きているようなものですが、どんなことが起きても、自分は自分だった、というのが何よりの救いだったと思います。もってうまれた自分が、あらゆるギフトなのだと、いまとなってはすごく思います。

アニメ文化で私の価値観も様変わりした経験も含め、アニメを通してこれから私に何ができるか、声優志望として、声優になって何をしていきたいか。「いいことしか起きない世界」ではなく、いいことも悪いこともあるけど、自分自身がうれしいと思える出来事を大切にしていきたいです。家族とうまくいかないこともありますが、そうそうたいしたことでもない、ともいまとなっては思います。

いつか、愛しあえる人がいたらいい、そうやって幸せになることだけを考えるのが、今回何よりの収穫でした。

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