TALK#17【漫画芸術】

 こんにちは👶

昨日、このブログを通じてSNSに動向があり、世の業界の機材がこのブログを見てくれている、ということに気づき。漫画芸術、コミックアートについて書くことにしました。

私は高校生のときに美術科に通い、漫画の絵なんて描くなと講師に言われながら、とある講義で「漫画は芸術か?」というテーマで講師からお話しされました。当時のテストの小論文では、浮世絵などの一般大衆のジャポニスムの絵の例もあるし、漫画も時代を経ていくごとに芸術文化になっていくのではないか…とも思って私は書きました。

それから私は20代の時点で、文学、美術、映画、音楽などの芸術文化を勉強しました。でも、あんまりこういうこと書くとあれなんですが、こうやって見聞を広めすぎると、視野が漫画なんていう暇つぶし目的で作られたものは本当に暇つぶしの娯楽に見えますし、好きなことだけやっていればいちばんよかったんだ、ともいまでは思います。大真面目に、見聞を広めると頭おかしくなるからやめたほうがいい。

調べたところによると、芸術=スゴイという感じにもなってるのとは裏腹に、一昔前のハイカルチャーと呼ばれた芸術文化は「知的階級が嗜んでるだけで、作品のクオリティとは関係ない」というものもあり、最終的には、芸術性やら芸術といった西洋で生まれた「価値観」が存在してるだけです。というか、芸術とは何か、といったら、いろんな人の考えがあって然るべきなので、こうだからこう、という言い方はしないほうが無難です。私はスゴくなくても芸術だ、といっていい時代にきているのではないか、と見ています。気持ちが伝わることがいちばんだと思うのです。

それで、十年前のときにです。コミックアートという言葉を出てきまして。物語性を感じさせる一枚絵、ということで。飾って楽しむのか、画集として楽しむ文化なのかはさておいて、このコミックアート、大学や学校教育のほうで学科ができたのと同時に、ある美術展、岡本太郎さんと一緒に設立した美術の公募展で募集がかかりました。

ただ、この日本の美術展、予言賞という謎の賞とともに、ちょっと毒の入った、私から見たらちょっとグロテスクな絵がサイトに飾られており…。私も美術の本当の内情を知ったのは美術のわかりやすい専門書を1冊買ったことからなのですが、昔からの芸術という言葉の発祥があたはずの流れを汲んだ美術である現代美術は、もう私は時代として、文化として終わったと見ています。

本当なら、現代美術も勉強せずにコミックアート一直線でやっていって、現代アートも利用しつつ、巨大なコミックアート業界にしていく、というのも他のプロのクリエイターがやっていることなんでしょうが。私は勉強してから入ってしまったので、現代アート、なんで美術が終わったかというと、あまりにも人のことを考えなさすぎなところです。ていうか、もう超絶作品群がヤバい業界なのを知って、私は引いています。果ては芸術的な小説だといわれている現代の純文学もヤバいし、現代音楽も不協和音のオンパレードで、映画もアート映画は一般大衆から発生しているにも関わらず、やっぱり作風がヤバい。

そこで疑問がわきました。この芸術文化。一般大衆の文化と分けられているのもあり、普通にヤバい作風が芸術なの?というところにも落ち着き。人生のための芸術と、芸術のための芸術、という言葉も昔からあるようですが、実はなんかそれもおばあちゃんが「人生のため」と言っているようなものではなく、なんかよくわかんないインテリが理屈づけたものにしか、私は見えなく。一般大衆で物を考えてきた私としては、キテレツな芸術性、に見えてまして。危ない作品群が芸術だ、という歴史を最近になって辿ってきてしまっている…と思えて仕方ありません。

もちろん、芸術にも歴史があって、昔みたいに荘厳さと威厳のある作品もあったりするんですけど。古美術と現代美術は作風がまったくもって意味が違うんです。そもそも、顧客層も違うし。古美術は貴族や偉人のためのものだったものが、現代美術は富裕層ということになっており、変なことを申し上げると、バナナを壁にテープに張り付けてアートですって言ってる作品が何故だか億いってる業界になってるんです。

世の共通認識として、芸術=スゴイとなっているはずなんですが、昔の芸術は【荘厳さでスゴイ】となっているはずが、時代が変わって現代の芸術は【危険な作風でスゴイ】となるようになっています。

時代は、やっぱりもう一般大衆の時代のはずです。大衆的なつくりで、アートを自称したり、商品として流通したりしてもいいはずです。よく何も知らんアホな人が、アートは他人の評価だ、と決めつけている人もいますが、芸術とかいう西洋のようわからんかったはずの価値観が、日本人の感性で他人の評価からそうそういきなり出てくるもんじゃないです。まずは商品として出す、という業界の流れから入ってくるもののはずが…。アート映画のムジナを踏まず、ぜひとも資金がなくてもやりたいからやる、という人の文化にならないように、と思います。

コミックアートは売れる。絶対に【平和】な業界にしてもらって、絶対売れる業界にするんだ、というのが私の思うところです。行く末は、小学生がよく描く公募展の「世界平和」というテーマでありますが、コミックアートもいちばん有名な作品は明るい作風で「世界平和」にしていただきたい。ゲルニカなんて目じゃないぜ。

ジャポニスムという言葉もありましたが。あれは西洋の人、海外の人がアートだと言って始まったところからです。あそこから、日本の芸術観が存在してきました。

コミックアート。日本人の価値観で、日本からアートを初めて発信していく一般大衆の芸術文化になればいいですね。どこかの団体や会社が大賞とかコミックアーティストの採用の募集かけてくれないかなあ。いまとなっては、私は読み物の漫画より興味があります。ていうか、漫画の絵を芸術だと思ったのは、とあるゲームイラスト描いてる人の趣味の絵だったんですけど…。

ということで、世のプロの機材にコミックアートの躍進を頼みます。コミックアート大賞、作ってほしい!というか業界の入り口になるところをまず作ってほしいです!果たして私はプロのコミックアーティストになれるのか!?


※業界がないと、まず成り立ちません。学校教育の美術も、教師がふんぞり返っている人いますが、講師と生徒という対話ができる立場の人であって、実は世の中に対して発信してる人じゃないです。私はそもそも学校教育については謎が残ります。これからの学生には、もっと楽しい学校生活を送ってもらいたい。無駄に苦労なんてせず、楽しいだけの学校生活を送ったほうがいいですよ。私も例にならって楽しいだけの社会人生活を送れるよう精進します。

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